信濃国分寺(長野県上田市大字国分1049)
訪問日令和6年9月26日信濃国分寺聖武天皇の詔により天平13年(741年)日本各地に建立された国分寺のうち、信濃国国分寺の後継寺院にあたるこの日は天気にも恵まれ、大法寺と安楽寺の国宝の三重塔を拝観、生島足島神社を参拝し、ここが4カ所目となる重要文化財の三重塔の拝観が主な目的になる観音堂江戸初期の百体観音像を安置するというが、拝観することはできない真田・徳川会見之地慶長5年(1600年)真田昌幸が徳川秀忠と国分寺境内で会見し、和平を結んだと見せて油断させ、徳川軍をやぶるこのため秀忠は関ケ原の合戦に間に合わなくなった現在、池波正太郎著「真田太平記」を読んでいる途中だが、まだ、この場面には至っていない地蔵堂郷土の名彫物師藤川仏師による地蔵尊と閻魔十王を安置する三重塔(重要文化財)三重塔は高さ20.1m源頼朝の発...信濃国分寺(長野県上田市大字国分1049)
2025/04/01 13:07