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写真を使ったエッセイ、コラムを書いてらっしゃる方。みんなでTBしてください。
テーマ投稿数
913件
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52人

フォトエッセイ・コラムの記事

2022年04月 (1件〜50件)

  • #花写真
  • #賃貸テナント
  • 2022/04/29 14:56
    徳之島回顧録 その37(梅雨入り)

    そろそろ沖縄が梅雨入りかと、テレビで言ってたがこちら奄美大島でも雨続きなのでそろそろ梅雨入りなのだろう。そういえば沖縄より先に奄美大島が梅雨入りしたのは去年だったかな?だいたい、梅雨入り前に雨が続いて梅雨入りして雨が降って梅雨明けしたら台風の影響とかで雨が降ってと雨ばかりじゃないか。誰だ、この時期に雨乞いしているのは。 今回も徳之島で撮った画像を公開します。 この岩に根付く植物たちの生命力は凄すぎる ハブというかコブラの頭のようだ。島でもこの岩を知らない人が多い。諸田か神之嶺かその付近にあったと思う。 タンカンがもう少しで食べごろ ヘリカメムシの一種だと思う youtu.be 上の画像をクリッ…

  • 2022/04/27 17:18
    徳之島回顧録 その36(犬の門蓋)

    徳之島の観光地で観光客に出会えるのは稀です。今回紹介する犬の門蓋(いんのじょうふた)に撮影のために訪れたのは10回ではきかないはず。だがここですれ違った観光客は数組だったと思う。ほとんど独り占め出来る。安いドローンを買って個々のメガネ岩をくぐらせる動画を撮ろうと何度か挑戦したが島の海岸沿いは基本的に風が強いプラスチックの軽いタイプのドローンでは風が吹いた瞬間に操縦不能となりとんでもない所に飛ばされている。海に飛ばされるのも時間の問題だったのとバッテリーが10分も持たないので挑戦できるのは2回までだったのでいつの間にか挑戦することもやめていた。 さて、この犬の門蓋という場所は昔大飢饉の時に野犬達…

  • 2022/04/23 14:08
    徳之島回顧録 その35(夕日)

    水平線に沈む太陽、水平線から上る太陽、これが気軽に撮れるのが島のいい所だ。天気さえよければ日の入り時間との日の出の時間を調べ、島の西側に行くか東側に行くかだけでいいのだ。いつでも撮れるものってのは実はいつまでたっても撮れはしないのだ。結局用事があってたまたま日が沈む時間と重なって夕日の撮影となる。いま考えればわざわざでも撮っておくべきだったなぁ。 さて、今回も徳之島で撮った画像を公開します。2009年に撮った画像は今回で最後となります。 犬の門蓋で撮ったものです 伊仙で撮ったものだと思う 雲が火の鳥を逆さにしたように見えるのは私だけ? ユリはゴールデンウイークあたりに一番咲いている。これは8月…

  • 2022/04/22 11:14
    徳之島回顧録 その34(どんどん祭り)

    徳之島では8月にどんどん祭りという、島では最大のお祭りがある。イベントとしてビーチバレー大会やサーフィン大会、ハレー舟大会、グラウンドゴルフ大会、ゲートボール大会、相撲大会が別日や別会場で行われるのだが私はそちらの方は見たことがなく、メインであるパレードと花火大会の撮影となるのだがこの大きさの島ならではでパレードは知ってる人間が何人か出ていたりで盛り上がる。顔の広い人ならなおさらだろう。最近の映像を見てみるとこのパレードに闘牛を参加させているようであるが私が撮っていたころには闘牛はいなかった。花火の撮影も初めてだったが雰囲気は伝わるだろうと思うのでご勘弁を・・・。 では2009年のどんどん祭り…

  • 2022/04/21 14:08
    徳之島回顧録 その33(夏目踊り)

    徳之島の病院で勤め始めた年の8月に勤務先のスタッフから今度の土日に夏目踊りがあるからおいでよ、と誘われた。一晩中飲んで食って踊ってとにかく楽しいから、と。何の予備知識もないままに行くことになる。標準ズームレンズと広角レンズとストロボを用意して土曜日の仕事を終えてからの参加となった。この夏目踊りとは徳之島町井之川で旧暦の7月に行われる先祖に対して収穫を感謝のお祝いをするものである。新暦が使われる今ではお盆後の最初の土日に行っている(鹿児島県のホームページ参照)らしい。まずは漁港や海岸沿いに陣を取り飲み食いを始めていた。この陣は実は毎回誰がどこかが決まっているらしい。ここでのご馳走は暗くなるまでで…

  • 2022/04/19 17:40
    徳之島回顧録 その32(闘牛2009)

    つ、ついに闘牛のフォトムービーにたどり着いてしまった。徳之島にいた頃に聞かされていた話によると闘牛は徳之島の他に宇和島と沖縄で行われているんだと沖縄の闘牛のチャンピオンは徳之島で勝てなくなった牛を向こうで訓練し直したもので宇和島の闘牛は決着をつけないので最強は徳之島の闘牛なんだと。飲みの席で言われたことなのでいい加減でも仕方ないのだがずっと今まで信じ込んでしまっていた。改めて調べてみると全国で闘牛は岩手県久慈市、新潟県長岡市・小千谷市、島根県隠岐の島町、愛媛県宇和島市、鹿児島県徳之島町・天城町・伊仙町、沖縄県うるま市と6県9市町で行われている。このうち鹿児島県の3町(徳之島町・天城町・伊仙町)…

  • 2022/04/18 11:23
    徳之島回顧録 その31(ハブ)

    徳之島の病院で初めて診察室をのぞいたとき、3人寝ていたのだが1人目はハチに刺された患者、2人目はハブに咬まれた患者、3人目は牛に突き飛ばされて患者だった。そこで、今までの病院とは明らかに違うことを実感した。 ハブに咬まれる患者は島全体でも年に数名でほとんどがハブを捕まえようとして咬まれている。ハブを持って行けば3,000円になるそうで昔は5,000円だったそうだ。そんな知識があった為、ハブに咬まれることはよっぽど運が悪いんだろうと思っていた。なので、夏場に短パンでスポーツサンダル足元が全然見えない草むらに平然と踏み込んだりしていたのだが天城町の当部という集落でオキナワウラジロガシ(木)を撮ろう…

  • 2022/04/16 10:00
    徳之島回顧録 その30

    毎日のようにコロッコロ変わる週間天気予報、あまり当てに出来ない。もうその日の天気次第で予定をたてるしかなさそうだ。 今回紹介する画像が台風のものなのでまたまた台風ネタをすることにする。借りていた部屋が2階ということもあり、夏場は留守中も窓を開けている。雨が降りそうで窓を閉めていると帰宅してから窓を全開にしても風があまり吹いてなかったり、風向きが窓の向きと合ってなかったりしたら夜間で外は涼しくなっているのに部屋の中は暑苦しかったりする。台風の時に雨が吹き込んでこない方の窓を少しだけ開けるようにする。これをしないとたまらない。特に停電になった時は扇風機さえ使えず体を冷やす手段は暗水シャワーしかなく…

  • 2022/04/14 14:00
    徳之島回顧録 その29(Oh My God)

    今朝YouTubeで”奄美ハゲー音頭”というのを見つけてしまった。笑ってしまった。ハゲーまたはハケーは簡単に言ってしまえば感嘆符”!”である。もう少し説明すれば多分ハケーが”!”でハゲーが‼”だと思う。別の言い方をすれば”Oh My God”である。今は使ってる人は少なそうだが私は子供の頃はみんな使っていた。昔、赴任してきた小学校の先生が実はカミのご加護が薄かった人らしいのだが「島の小学生は素直で真面目でいい子が多いのだが自分のことをハゲと言ってバカにする」と嘆いていたそうだ。 徳之島では言葉の後ろにチョーを付けることが多いのだが病院勤務の頃にスタッフが「今日は院長がいんチョー」(今日は院長が…

  • 2022/04/13 13:56
    徳之島回顧録 その28(バックアップを忘れずに)

    週間天気予報がガラッと変わってしまった。しばらく、雨ばかりのつもりだったので家での作業の計画。過去のハードディスクから昔取った画像のLowデータを引っ張り出して再度フォトムービーを新しいアプリで作り直そうと。初期に制作したフォトムービーはその場でスライドショーとクオリティーより手軽さがメインのソフトだったので解像度の低さが目立ってしまう。一応HD対応にはなっているのだがその後のソフトと比べると本当なのかと思えてしまう(当時は満足してたのだが)。という訳でハードディスクを確認していくのだが半分ほどが死んでいた。当時は画像処理ソフトにアドビのライトルームを使っていてそれで画像管理も行っていたのだが…

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  • 2022/04/12 20:34
    鹿背山不動・神の山と「仙人、天女の碁盤石」

    神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します                              A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples

  • 2022/04/12 18:19
    徳之島回顧録 その27

    台風1号が発生して数日までどこに行くのかわからなかったのだがどうやら日本列島の東の方を抜けるようである。2号も発生したのだがこの感じだと1号の後を追うように行くのではと勝手に都合よく考えている。だが週間天気予報が雨マークで埋め尽くされてしまった。しばらくはおとなしくするしかない。 私が徳之島に行った頃には台風がそれることが多く、それ以前10年くらいは台風による被害もなかったそうだ。だが、私が行ってから数年後に発生する台風のほとんどが徳之島を通過することがあり、その年は大変な被害を受けたのだがあちこちで屋根が飛んだとか電柱が倒れたとか台風の時に竜巻が発生してその通過路のものが破壊されていっただと…

  • 2022/04/12 18:19
    徳之島回顧録 その26(南西諸島のフェリー事情)

    私が大阪から徳之島に来たのは大阪南港発沖縄行きの旅客フェリーでバイクを載せて来たのだが2017年に南西諸島の客の利用減少により廃止されたようである。私が子供の頃に何度かフェリーで奄美大島に来たものだがかなり混雑していて船内は燃料と嘔吐物の匂いで揺れはひどいし今考えれば最悪の環境だったと思う。波のある日などは下船して3日目くらいまでは揺れている状態だった。徳之島へ行く時は覚悟して乗ったのだが匂わないし揺れない。技術の進歩なのだろうが燃料の匂いは設計上の問題だったのだろうし揺れはハーネスの効果なのだろうが検索をしても引っかかて来ない(キーワードが悪いのだと思う)。フェリーが気に入ったので奄美大島(…

  • 2022/04/12 18:19
    徳之島回顧録 その25

    年配者たちが病院通いをする理由に診てもらって安心したいのとコミュニティとしての役割があるようだ徳之島でも大阪でもそうだったのでおそらく全国的にそんな利用のされ方が多いようだ。そりゃあ年も取ればあちこち不調な個所も増えるので改善できればとも思う気持ちもよくわかる。そんな中に待合で知り合いやスタッフと話をしてそこで満足してる人たちがいるのだ。今はコロナ禍でだいぶ減ってはいるのだろうがこの人たちのために健康保険料が吊り上げられている気がして仕方がない。もっと地域の人たちが気軽に集まれるようなコミュニティを生み出さなければこのような人たちは世代交代をしながら病院を利用することになるのだろうと思う。 さ…

  • 2022/04/12 18:19
    徳之島回顧録 その24(小学校入学式)

    徳之島の最大行事と呼べるものは小学校の入学式と成人式で間違いないだろう。と、言っても当の本人はそんなに大変ではないかもしれないがその家族と親戚たちははたから見ても大変そうなのだ。徳之島に行った最初の年はお誘いを受けなかったので平和に過ごせたのだが2年目からは小学校入学式と成人式の晩は島中を走り続けることになるのである。私は病院に勤めていたので病院スタッフの小学校入学式を迎える家を全部回るのである。だいたい10件前後になるのだがお祝いを持って行ってご馳走とお土産をいただいて帰るのだが私は酒が飲めないので楽しみ半減するのだが各家庭の島料理をいただけるのはうれしい限りである。訪ねていく方はお気軽なも…

  • 2022/04/12 18:19
    徳之島回顧録 その23(奪われる言葉2)

    以前、奪われる言葉を書いたのだがまた最近ウクライナの首都をロシアで使ってる呼称のキエフからウクライナで使ってる呼称のキーフまたはキーウに変更するだとか。今回の件はもともと使用頻度が少ないので個人的にはあまりえいきょうないのだが”ロシアが悪いことをしている国なので変更します”と言ってるようで何か気に入らない。昔、中国が日本のことを倭と言っていたのだがこの字には従順であるとか小さいという意味があったので似た発音の和と大をつけて大和になったそうな。このような呼称や文字に悪意がある場合は変えるべきなのだろうと思うのだが今回のキーウは変える必要があったのだろうか? このようなことを慎重に考えていかなけれ…

  • 2022/04/12 18:19
    徳之島回顧録 その21(よもぎ餅の味)

    徳之島でたまによもぎ餅をもらうことがあったのだが、もらっといて言うのは何だか甘過ぎることが多い。実は大阪にいた子供時代に奄美大島から送られてくる小包の中にたくさんのよもぎ餅が入っていた。ばあちゃん(父方の祖母アリチヨ)が送り主なのだがこのばあちゃんが作ってくれたよもぎ餅がすごくおいしい。当時は当たり前のように家にあったのでおいしいとかおいしくないとかの感覚では食べていなかった。しかし、徳之島で時々もらったりするよもぎ餅に違和感が湧き、当時のばあちゃんの作る甘さを抑えたよもぎ餅がとてもおいしかったことに気づいてしまった。この気づきに数十年の年月を費やしてしまった。徳之島に来てから5年以上たってか…

  • 2022/04/12 18:19
    徳之島回顧録 その20(ネコに感謝)

    このブログは徳之島でのエピソードと奄美大島での近況を載せてフォトムービーの過去に作ったものと新しく制作したものを紹介する形で、なるべく毎日書いていこうと思っているのだがどうしても乗らない日がある。そんな日は気軽に書くのをやめている。 昨日は母のところにいるネコの茶郎(チャロ〈いとこの娘が名付け親〉)が亡くなったためなにもする気にならなかった。この茶郎は徳之島から連れてきた茶子(チャコ)の息子である。奄美大島に連れてきた経過とかはネコのフォトムービー紹介の時に書くこととして、この茶郎は何年前からか急激に痩せていき毛並みも悪くなり去年の秋ごろには食欲もなく、脊椎と肋骨が毛皮の上からもしっかりわかる…

  • 2022/04/05 19:27
    1200年の伝統中止! 諏訪大社の御柱祭

    神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します                              A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples

  • 2022/04/05 15:05
    徳之島回顧録 その22

    先日祖母の話をしたので父の出生の話をさせていただきます。父は台湾で1939年に三男として生まれた。長男と長女は日本で生まれてい次女・次男・三男(父)・四男が台湾で生まれている。四男以外はすでに他界していて台湾でのことを詳しく知る人間はもういない。推測になるのだが1930年代に台湾に渡ったのだと思われる。台湾ではサトウキビ工場の工場長だったらしく、大きなお屋敷でお手伝いさんまでいて裕福な生活を送っていたらしい。台湾の人たちとの関係も良好だったらしいが日本人の子供が持っていたお菓子を台湾の子供が取り上げたことがあった時、その台湾の子供は縛り上げられてかなりの折檻をされていて、互角の関係ではないのだ…

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