街探索で見つけた、時代とともに徐々に、また、いつの間にか、しかし確実に街から消えつつある町名看板、旧町名や看板建築、銅板葺き、出桁造り、長屋門の建物等、気になったものを紹介します。
蓮田駅から線路沿いを歩いていた。 発見日 2024年4月1日 発見場所 埼玉県蓮田市蓮田三丁目大波踏切という名前の踏切があった。 普通の人なら通り過ぎてしまうかもしれない。 「あちら側優先」と「向う側優先」、表現が異なる注意看板があった。 手書きっぽい「向う側優先」の方が先に設置されたと思われる。 2枚設置されているのは、右折車でも左折車でもよく確認できるようにするためだろうか? 踏切を渡った反対側の看板には何が書かれているのかがとても気になった。 左側の「向う」は手書きだし、右側の「あちら」の反対語が書かれているのではないかと予想する。 線路の先を見ながら、考えてみよう。蓮田駅方面 東大宮駅…
行方市石橋・熊野神社の月待塔行方(なめかた)市は西の霞ヶ浦と東の北浦の挟まれた古くて新しい市。西浦に流れ出し雁通川周辺を訪ねました。熊野神社は石神集落の中心部にある神社で、近くに観音堂や浄泉寺もあります。境内には庚申塔や月待塔が並び、この神社が集落の信仰の中心だったことがわかります。月待塔は「廿三夜供養塔」「奉待廿□」「十九夜/奉廿三夜/廿日待」の三基。いずれも風化がひどく、この場所に立て替えたような印象の月待塔です。その中の「十九夜、廿三夜、廿日待」を並べた月待塔はどういう背景があっての造立なのか、考えてしまいました。中央に「奉廿三夜」とありますからこれが主で、あわせて十九夜と廿日待を行っていたということだと思いますが、十九夜も廿日待も信仰や石造物の事例の少ない月待です。そのなかでも茨城には若干あったよ...里山の石神端書285月待塔(茨城県行方市石橋)
今日も荒谷林道の散歩をしました。昨日まで気づかなかったヤマボウシ、フタリシズカ、スノキ、ツクバネウツギ、アオダモの花が咲いていました。 ヤマボウシ フタリシズカ スノ...
蓮田駅から線路沿いを歩いていた。 発見日 2024年4月1日 発見場所 埼玉県蓮田市蓮田三丁目大波踏切という名前の踏切があった。 普通の人なら通り過ぎてしまうかもしれない。 「あちら側優先」と「向う側優先」、表現が異なる注意看板があった。 手書きっぽい「向う側優先」の方が先に設置されたと思われる。 2枚設置されているのは、右折車でも左折車でもよく確認できるようにするためだろうか? 踏切を渡った反対側の看板には何が書かれているのかがとても気になった。 左側の「向う」は手書きだし、右側の「あちら」の反対語が書かれているのではないかと予想する。 線路の先を見ながら、考えてみよう。蓮田駅方面 東大宮駅…
行方市石橋・熊野神社の月待塔行方(なめかた)市は西の霞ヶ浦と東の北浦の挟まれた古くて新しい市。西浦に流れ出し雁通川周辺を訪ねました。熊野神社は石神集落の中心部にある神社で、近くに観音堂や浄泉寺もあります。境内には庚申塔や月待塔が並び、この神社が集落の信仰の中心だったことがわかります。月待塔は「廿三夜供養塔」「奉待廿□」「十九夜/奉廿三夜/廿日待」の三基。いずれも風化がひどく、この場所に立て替えたような印象の月待塔です。その中の「十九夜、廿三夜、廿日待」を並べた月待塔はどういう背景があっての造立なのか、考えてしまいました。中央に「奉廿三夜」とありますからこれが主で、あわせて十九夜と廿日待を行っていたということだと思いますが、十九夜も廿日待も信仰や石造物の事例の少ない月待です。そのなかでも茨城には若干あったよ...里山の石神端書285月待塔(茨城県行方市石橋)
街探索で見つけた、時代とともに徐々に、また、いつの間にか、しかし確実に街から消えつつある町名看板、旧町名や看板建築、銅板葺き、出桁造り、長屋門の建物等、気になったものを紹介します。
「写真ブログ」 カテゴリー一覧(参加人数順)